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レッスンで目指すもの  エゴとミューズ

2012.04.16(09:13) 251

最近、レッスンで先生に、だいぶいいんだけどここがもっと、とかダメだしされるのが辛い、っていう話がピアノ仲間で出たんです。

これだけ練習したからここは褒められるだろう、とか、師匠に努力を認められたい!という気持ちがどうしてもありますからね。

確かに、誉められるだけならレッスン受ける意味ない、とわかっているし、もっとよくなると思うから先生も指摘してくれるわけで。ピアノは難しいですから。

確かに先生とのレッスンを生きがいにしている学習者の方もいます。かつて私もそうでした。でもやはり、目的のためにレッスンを利用するほうが、建設的ではないでしょうか?

最近、私が師弟関係まではいかないピアニストの方にレッスンを受けていて気づいたのは、ああ、そう弾くのか、って、レッスンで指摘いただくことをかなり自然に自分が受け入れていることです。すぐできなくても、動じなさすぎな自分がいるのです。

またその先生も、この人を○○に受からせなきゃ!というプレッシャーもなく、淡々と改善すべきことを教えてくださいます。今の私にはそれがいいんでしょうね。

レジェーロのタッチ(ショパンの速くてなめらかで、ポロポロした音が続くパッセージをそう弾くのです)を、根底から変えるようにレッスンしてもらったのですが、今まで知らなかった!何やってたんだ!という自己都合の感情より、この方がいい音になるしショパンらしいね!弾きやすい!表現がグレードアップする!教えてもらってよかった!という、ポジティブな反応が自分の心から出ていました。

だから、ああそうか、と思って無心でレッスンで弾いてみる自分がいました。昔は、(すぐできなさそうだから)、後で練習しておきます、ってその場を逃げたりしていました。(^_^;)(^_^;)

今は、早くできるようにならなきゃ、という気持ちさえないのです。本番に間に合うのか?みたいなあせりもないですし。そこはあせらなすぎだろ!って自分の左脳が突っ込むくらいです。

いつかできるだろう、という気持ちしかないんです。そしてその方が、リラックスして自分が変わっていくことができるだろう、と直感しています。

ボディシンキングというATのコースで学び始めたんですが、カラダのこと、わかるには2-3年はかかる、とティーチャーに言われます。今日習ったことをすべて理解して来週にすすむ、みたいな、公文式学習とは違いますね。何回も同じようなことに遭遇していくうちに、自分の体でわかってくるようなのです。

そして学校に行くと、それを楽器演奏から、ダンスから、演技から、歌から、朗読から、スピ―チから、美術から、人それぞれに咀嚼して学習していくのがよくわかります。

2年かけていい。そういう学習の場にいることで、レッスンでの受け止め方が変わったというのもありますが、ふと気づいたことがあります。

そもそも、先生と生徒って共通の目標のもとに共同作業しているだけじゃない?と。ピアノのレッスンなら、”より美しい音楽が聞こえる”ことが目標で、先生でさえ、その目標へ向かうための協力者だと思うのです。

先生に見捨てられないように、誉められるように、というより、より美しい音楽を奏でて音楽の神様を喜ばすことを目指したら、一回のレッスンで一ミリでもそこに近づけたらいいや、ってならないでしょうか?先生も、いい演奏が好きなのに違いありません。ただ、音楽への愛が強すぎるが故に、指導に熱くなりすぎる先生もいらっしゃることは事実です(^_^;)(^_^;)。

前にオペラや合唱のピアニストをしている先生に習っていたんですが、ああ、今日は歌が良くなって良かった!って練習を終えるのだそうです。先生が伴奏するのはいい歌のため。だから少しでもアンサンブルが進歩したら嬉しいんだそうです。

これってかなり高度な喜び方だと思いました。レッスンでこれだけやったから褒められるだろう、と浅はかな予想をしていた私とは大違いです。

なのでこれからは、ミューズを喜ばせられる演奏に一ミリでも近づく体験、それがレッスンなんだととらえようと思います。

ピアニスティックノート


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