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コンクールについて思うこと

2014.05.16(06:30) 527

大人のコンクールに出られる方を見て思うのは、皆さんとても達者に弾かれるのだけれど、演奏中”自分がステージを務めている”感が薄いということ。

まるで、これ弾いて、次これ弾いて、という声が聞こえてきそうなくらい。 

極端に言えば、課題曲弾く、はい、自由曲、という具合。 

それが透けて見えるとき、ステージはやや退屈に感じ、惜しいとさえ
思える。

 例えば近代のややこしい曲を上手に弾いていてもだ。 

コンクールなら高得点を狙える選曲をされているのだろうし、その戦略はただただお見事というほかない。

たとえ10数分間でも一つのプログラムとして考えないのは惜しくないだろうか。
 

おのずとご自分のコンサートとしての演奏になりにくい。

いかに大先生(審査員レベルの先生)のレッスン通り弾くか、減点されないよう弾くか。

その再現が入賞のための至上命題だから。 

それなら子どものコンクールの弊害と通じるところがある。

もちろん独創的、個性的な音楽を作っている人もいらっしゃるが、どの審査員にもいい印象を与えようとすれば、おのずとコンサバティブな優等生が増える。 

または、難曲を弾きこなすことを誇示したいだけにも見える。決勝がリストのオンパレードなんてことも。 

 ああ、コンクールってそういう場。

ピアノ演奏には、音楽学校の卒業証書やグレード以外、1級とか、TOEIC何点とか、黒帯とか、実力を示す資格というものがない。 

どれくらい上手いのかを計るのに、コンテストにおける評価が尺度となってしまう。

ある曲である年のコンペで入賞すれば、あの人はすごい、というレッテルがつく。

周りも尊敬のまなざしで見てくれる、かもしれない。 

 入賞はもちろんすごいことなのだが。

本来音楽は、誰が優勝するか、に注目して聴くものではない。

その人がどんな音楽を作ってくれるかを聴きたいのだ。 

オリンピックでもメダルメダルと言われるが、まずその人の最高のパフォーマンスを見せてもらいたい、そういうものだと思う。 

いろんな個性をひとつのコンテストで優劣をつけるというのも、本当は無理があるのは、先生方もわかっているのだ。 

 そもそも出場していない”無数の才能”が巷にはうじゃうじゃいる。

一方その競争によって金銭的に潤っている人たちもたくさんいるのも現実だ。

 私もピアノのコンクールのようなものは受けたことはあるが、時として結果発表後が、勝者絶対、敗者は敗者&資金源?のような雰囲気になるのに居たたまれない気持ちになる。

 それも勝者になったことがないからだろうか?

口惜しかった人は”リベンジ”に燃えるようだが、音楽で一体誰に復讐するというのだろう。

 人前での演奏が苦手で、それを克服したい、という情熱を持って参加されている方もおられる。

自分の成長を計る尺度にされているならそれもいいと思う。 

コンクールや社会人アマチュアの方については、たびたび参考にさせて戴いている大野眞嗣先生もブログでも考察されておられるので、よかったらお読みください。 
ロシアピアニズムをつぶやく→ ロシア


ピアニスティックノート


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