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きたがわ かおり アレクサンダーテクニーク教師(仮免許)

17歳で頸椎ヘルニアになった私が風変わりな学校に入った理由~アレクサンダーという翼~《実習レッスン受講生最終募集開始》

鳥

「思うだけなんです」
体験レッスンのさなか、紀美子先生は言った。
「?」
私の頭はハテナでいっぱいだった。
アレクサンダーテクニークの学校を初めて訪れた私は、イントロと呼ばれる体験レッスンを受けていた。歩いたり、椅子に座って床の上のものに手をのばしたりするような、ごく普通の動作をする。しかし、先生が私の後頭部の下あたりに手を添えてくれると、不思議なほど体が楽に動くのだ。
なんなんだ、これは?
ピアノで、四半世紀ぶりの大スランプに陥った私は、アレクサンダーの門をたたいてわずか15分ほどで、魔法のような体験をしたのだった。

「首から来ています」
中国人らしいアクセントで、しかしはっきりと、王先生は私に申し渡した。
17歳の7月。高校の合唱部でピアノ伴奏を一手に引き受けていた私は、突然手の指が曲がらなくなるという不調に襲われた。まず右の人差し指からきてほかの指へ広がり、ついに左手にもしびれが及び始めた。期末テストも左手で答案を書くほどだった。部活では夏のNHK学校音楽コンクールに挑戦することになっていた。
「降板するなら早く決めるように」
指揮の子とともに私は呼び出され、顧問の先生に告げられたところだった。

「それって首から来てるかもよ」
音楽室にいたほかの先生からそう聞いた私は、ちょうどそういうのを診てくれる先生の存在を親から知らされ、藁をもつかむ思いで神田にある王診療所を訪ねたのだ。

「先生、お注射ですか?」
看護師さんがシリンジの針先から液を数滴出してみせると、私は一瞬たじろいだ。が、両手ともしびれるかを先生が確認すると、即座に頸椎のレントゲンを撮ることになった。
真横から撮ったレントゲンを先生は私に見せてくれた。素人目にもはっきり見えるくらい、椎間板が後ろに飛び出したところがあり、それが神経を圧迫しているらしい。
「これは痛いですね」
先生もやっぱり、という声音だった。
私は17歳にして、椎間板ヘルニアという病名を賜ってしまったのだ。

通院すると、周りは中高年の人ばかり。ほぼ最年少で制服を着た私は、「香里ちゃん」と呼ばれてナースさんたちに可愛がられる始末だった。とにかく不調を克服してまたピアノを弾きたかった私は、なににも優先して学校帰りに治療に通った。

その甲斐もあり、ヘルニアもひっこんできたのか、年末から練習を再開し、3月末の発表会でピアノを弾くことができた。ベートーヴェンのワルトシュタインソナタだった。あの日音楽室に同行してくれた指揮の子も、喜んでくれた。

だが、それも若さあふれる10代の話。牽引もいわゆる対症療法だ。体の動かし方に根本的な解決もないまま40代に入っていた私は、今回の不調がそう甘くはないことを思い知らされた。

今回は困ったことに前腕の内側の痛みで、椎間板ヘルニアとは違いまったく見当がつかない。
早朝、鋭い痛みで目が覚めた。痛むからこの2-3日練習はしていないのに。
「発表会当日の早朝に急に痛くなるなんてどういうことなんだ?」
「もうピアノ、あきらめるしかないのか?」

あんなに頑張ってきたのに、先生にもお世話になったのに。
努力に悔いはなかったが、私は自分の体が呪わしくてならなかった。
「今度はなにもしなくても痛くなってしまうなんて。どれだけ私はついていないんだ。」

アレクサンダーテクニーク教師になろうとしている今ならわかる。
今日が本番である、という正にその思考が痛みを生んだのだ。

「思うだけなんです。」
それはアレクサンダーと出会った日に紀美子先生が教えてくれたこと。
私の体は、私の思考によって動いたり、動きにくくなったりするのだ。

冒頭の体験からほどなくして、私はアレクサンダーテクニークの学校に通い始めた。
翌年には教師養成コースに入学してしまった。
苦手だった解剖学。10年以上ブランクのある英語。アレクサンダーの著作を読む通信講座。もちろんクラスに出席して様々なレッスンも受ける。合宿にも参加した。40の手習いという言葉があるとしたら、こういうことだろう。「思うだけ」という風変わりな学校で、さまざまなカリキュラムを学んだ。
「思うだけだなんて人に教えられるか!」と嘆いたこともあった。

同時に不思議なことが起きた。
ピアノでやりたいことがどんどん叶ったのだ。

ソロコンサートを開くこと。
オーディションでファイナルに進んだこと。
歌い手さんと声楽コンクールやクリスマスコンサートで共演すること。
学校のミュージシャンの方たちとコンサートをすること。
オーケストラとピアノコンチェルトを演奏すること。

Nコン降板という挫折を17歳の私に味合わせたのはピアノだった。
がむしゃらにやりさえすればできると思いあがった当時の私は、見事に崖に突き落とされた。
けれども、崖から引っ張り上げてくれたのも、またピアノだった。

そしてとうとう2018年の2月、アレクサンダーの最終実技試験に私は合格する。
入学して6年の月日が流れていた。

現在アレクサンダーテクニーク教師(仮免許)と認められて、学校に通いつつ、教育実習を行っている。
生徒さんは、私が体験したような体への悪弊を防ぎつつ、演奏のパフォーマンスを高めることができるのだ。

またこれは、やりたいことに使うのが最も有効だという。だから、私は特にピアノを弾く人を対象にレッスンをしている。私の経験をダイレクトに生かすことができる。

自分が人になにかを教える資格を取ることになろうとは。
一番驚いているのはほかならぬ私自身だ。

私はピアノのため、多少のテクニックと引き換えに、体の不調を起こしてしまった。正直、自分のピアノへの不信感が拭えなかった。しかし、30年前ただの高校生だったの私が、よもや不調を防げるような秘訣が存在するなんて知るはずなかった。大人だって同様だった。

今思えば、私のピアノは砂上の楼閣だった。
体のコアを無視して指だけ動かせばなんでも弾けると信じて疑わなかった。

これでよかったのだ、と思う。

遠回りもしたけれど、私の挫折から生まれた私のレッスンが今、ほかの人を助けている。

先日10回の実習レッスンを終えたのは音楽大学2年生の女性だ。
ピアノの生徒にすぎなかった私が、ピアノを学ぶ、将来のある人たちの教育に関わっている。

学生さんだけではない。
物理学者として社会の役に立とうという研究者の女性は、ショパンのエチュードを弾く喜びを見出した。
講師演奏でラヴェルの水の戯れを弾こうというピアノの先生もいる。
還暦をすぎた男性がピアノをもう一度弾いてみようという気になってくれた。
公募を勝ち抜いて音楽祭に出演し、室内楽のフルリサイタルを演奏した人もいる。
企業で働きながらリストの大曲を弾きたいという方もいる。

間違ったピアノ練習をしすぎて世界を恨みたくなった17歳の私が思いもしなかったことが、今起きている。ほかの人が上手になる手助けができる私がいる。

自分が上手に弾ける人はゴマンといても、私と同じレッスンができる人はそうはいないはずだ。

私がこれから人に貢献できるとしたら、それもピアノなのだ。

来年の私は、今の私より、少しばかり、力がついているだろう。
何より私には、自分に使い、人に伝えるアレクサンダーがあるのだから。

9歳でピアノを始めた私は来月50歳になる。その41年間の体験とアレクサンダーの学びを集大成したものが、美しい音を探求するピアノボディスクールだ。

実習が終わったらグループレッスンを開き、いよいよ私は学校を卒業することになる。

今度こそ、ピアノはアレクサンダーとともに私を羽ばたかせる翼となってくれるに違いない。
私の生徒さんを羽ばたかせくれるに違いない。

私は、わたしのレッスンがあなたの翼になると信じています。
ただ今、最終実習レッスンの募集中です。

2018年7 月5 日

美しい音を探求するピアノボディスクール
アレクサンダーテクニーク教師(仮免許)

北川香里

☆実習受講生募集:2名様限定
☆期間を緩和しました! 7/16-9/15の間に10回受けられる方。
☆終了時に簡単なレポートを提出していただきます。
☆事前に手数料(15,000円)を学校に入金していただきます。
☆講師の勉強という側面を理解いただける方。

レッスンの詳細、お申し込み HP https://kaorikitagawa.jimdo.com
実習のお問い合わせ Email kaorilavender8@gmail.com
TwitterDM kaorilavender
FB Kaorin Kitagawa
  • 2018/07/05 (Thu) 10:56

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