シンデレラの兵法

「ごちそうさまでした」
わたしたちは食事を終え、待ち合わせた新宿小田急デパートの前にもどってきた。今度食事でも、という男性との約束が果たされた瞬間、わたしは何気ない表情を保って彼の言葉を待つ。

わたしも大恋愛を夢見る二十代だ。彼と二度と会いたくないわけではない。もう一度会うくらい構わないと思っている。

彼は仕事で知り合った人だった。わたしが気に入ったのだろう。わたしが近々退職すると話したら、食事に誘われたのだ。

新宿で学校にも通っていたわたしは、クラスの前に高層ビル群の前で彼と待ち合わせた。ランチをしながら話してわかったことは、彼が特許関連の仕事をしていて、新潟の出身で、年が二つ下であることだ。 誠実そうな青年だった。

「今回はそうでありませんように」
デートが終わりに近づくと、心のかたすみで思う。こう念じたのは何回目だろう。不首尾に終わった過去のデートが脳裏によみがえり、ため息をつきたくなる。

「きみの連絡先を教えて」
その一言がなぜか告げられないのだ。せめてその場で次の約束を決めればいいものを、彼らはかたくなにそうはしない。協定でもあるかと疑いたくなるくらいだ。

ブルータス、お前もか!
わたしは心で涙を流す。そっちの協定は知らないが、わたしにはわたしの掟があるのだ!

つきあってみればいいじゃん。 
そんな女ともだちの声が聞こえてきそうだ。が、今のわたしにそういう男女平等論は不要だ。恋愛と結婚に関する限り、わたしたちはどこまでも男と女なのだ。

わたしから電話?
留守だったらメッセージ? 
電話してほしそうだったから電話しました、とでも言うの?

やった人ならわかる。それなりに配慮とエネルギーがいることが。
初めて電話をかける、その気まずさを引き受けてくれる男性こそ好ましい。

昭和生まれならわかるはず。リスクをとって電話して、父親が出ても、「〇〇さんお願いします」ということができた勇者だけが、チャンスを得られたことを。

「最後の日に賭けてみました。異動のあと辞められるときいたので」
電話でそういう彼の声に、わたしは多少の希望を感じていた。彼が職場に誘いの電話をくれたのは、異動前の最終日だった。彼は一縷ののぞみをこの新宿での食事につないだのだ。

その意気やよし!
期待した。ようやくシーザーではなくヒロインのターンが来るかも、と。

わたしだって辛い。二十歳の誓いからすでに卒業、就職、退職までしようとしているのだ。恋人のいない誕生日を何回過ごしたことか。

きっと彼はあれこれ、わたしから連絡がない理由を想像するだろう。ぼくが年下だから、とか好みじゃないんだ、とかなんとか。問題はそこじゃない。男性諸氏、誤解されることなきよう。そういうことではないのだ!

女性は必ずしもひとめぼれして相手を好きになるわけではない。
関係性、信頼。共感、共有。そして安心感。女性にとってプロセスが大事というのは本当で、好きになるのに時間がかかるものなのだ。

草食男子には耳の痛い話かもしれないが、それをその気にさせるのがそちらの仕事。とにかくわたしに連絡先をたずねなければ次はない。次がなければその気になりようもない。

この少し前こんなこともあった。仕事から帰り、家の戸を開けようとした時、後ろから若い男性に話しかけられた。
「いつも電車でいいなって思ってて。サトシっていえば通じますから」
自分の働くショップのカードをわたされた。

だ、か、ら! 
夜に駅から家まで後をつけられたことよりも別のことに、わたしの心はフォルテシモで叫んでいた。

お店のカードをもらってわたしにどうしろと?
てか、あなたは誰? 
よかったらって、なにが?

見染めた女性に名刺をわたすだけで、彼女から電話をくれて、会いに来てくれて、恋人になれる?
それって、シンデレラも素足で逃げ出すフェアリーテイルだよ、ワトソンくん。
王子様がガラスの靴をシンデレラに押し付けて、自分は手ぶらで帰る?

じゃあどうやってまた会うの?
お城にシンデレラから出向くなんて、女のプライドずたずたですやん!

わたしは電話しない。
「静かなること林のごとし」
「動かざること山のごとし」

風林火山の「林」と「山」。それがわたしの兵法だ。

わたしが求めているのは今付き合える相手ではなく、お互いが本当に幸せになれる恋人だ。

きっかけは二十歳の失恋だ。はじめての彼氏と別れて、死にたいと思うほどの苦しみを味わった。ある本を読んで、自分の男性を見る目がずれていることに気付いた。気づかなければダメンズウォーカーになるところだった。以来わたしは幸せになるための法則を実践し始めた。

法則とは、わたしが好きになる人は間違った相手だから、自分を好きになってくれる誠実な人を選ぶ、というもの。だからどんなに孤独でも、手をのばせば彼氏が作れるとしても、わたしから電話しない。むしろ、こちらから電話したくなる相手ほど関わってはならない。

簡単そうにみえて、これがまた難しい。
「あ、いいかも」
そう感じた相手への自分からの接触はご法度になる。じっと我慢、我慢の子になるのだ。

「このまま待って一生が終わるかも」
そんな不安があっても法則を貫けるか。わたしはまた試されている。

「そろそろわたしの異性を見る目も修正されてきたかも」
不安に負けてわたしは自らを正当化し、アクションをとってしまったことがあった。そしてそれはことごとく失敗だった。交際に至らなかったけれど、わたしは深く傷ついた。そう、兵法を破った馬謖は孔明に斬られたではないか!

やはり法則は正しかった。

だから誓った。クリスマスを一人で過ごそうと、誕生日を一人で祝おうと。わたしは法則ガールになるんだ、と。

「よかったら電話ください」
新宿駅での別れぎわ、個人の連絡先を書きこんだ名刺が差し出された。

はあ、やっぱりそうきましたか。
わたしはかすかな笑顔をつくりつつ、心の中でため息をついた。普通なら、好感触だから次のデートにつながる、と思うところだ。

彼のいいたいことはこう。
「また会いたいと思うから、よかったら君から電話して」
今日もまた、ブルータス君が一人、わたしの目の前をとおりすぎた。

それでもわたしはシンデレラ。心のどこかで期待している。

「疾きこと風のごとし」
「掠奪すること火のごとし」

そんな不屈の精神で誘ってくれる人の出現を。

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